世界で一番推しが好き!

たのしいおたくのせいかつ

「FAKE MOTION 2021 SS LIVE SHOW」と推しの話

突然(?)ではありますが「FAKE MOTION-卓球の王将-」のライブに行ってきました。

 

2期始まるちょっと前に1期の無料配信があって一気に駆け抜けたら完全に情緒を乱されて今です。おかげさまで同時にえびだんさんの解像度も一気に上がりました。

1月に推しの舞台が終わってヒマだし刀ステ観に行くかSwitch買うか、いやでもいつ推しの仕事が解禁になるかわからないし…ってグダグダ悩んでたのにライブが解禁された瞬間行きます!5分でFC入会!先行申し込み!って感じだった。一瞬でフッ軽になって自分でもびっくりしたけどオタクって大体そういうものだと思います。

 

朗読劇とライブの2部構成だったんですけど、朗読劇は普通にめちゃくちゃ泣いたし、ライブは最終的にはオルスタになって楽しかったです。

卓球の脚本をあまり信用してないところがあるので(正直)前半はマジでそのキャラはそんなこと言わない!!!ってハラハラしたし、まぁツッコミどころがないかというと……なんだけど、最終的に全員愛す……!!ってなったからまぁなんでもいいや。卓球は細かいことを考えたら負けなんだよ!!!!

ライブは勿論声は出せなかったけどガンガンペンライト振り回してワーワーできたのは本当に楽しかったなです。公式ペンライトが卓球ラケット型で、両手に持って振り回すと結構な確率でぶつけるしぶつけると結構ガチッ!!っていい音鳴るから焦るし、ペンライトと同じ動きをしてるはずなのに平らなせいでなんか変な動きしてるような不安に駆られる。なんでだろうみたいになる。結構空気抵抗を感じるので次の日バリ筋肉痛なった。

 

ライブは実質えびだんさんのライブみたいになったしご本人たちもそれに近い感覚でいたみたいで、久しぶりに皆さんの前に立てて……って感慨深そうに話してるのを見るとマジで感慨も何もないド新規が突然やってきてすまんの!って感じだったけど、多分私は今この時期じゃなかったらわざわざこのライブのために有休取って有明くんだりまで行くほど卓球やえびだんさんのことを好きになってなかったと思います。ここからが今日の本題。

 


何かを好きになるのってホントタイミングだと思っていて、そりゃ好きになるより前の出来事を見て、リアルタイムで体感したかったと思うことはあれど、その時に出会っていたからと言って好きになったとは限らないんですよね。

卓球の1期だってリアルタイムの時はそこまで興味が持ててなかったし、今の時期だから見てみるか~って気持ちにもなったわけで。

あと、えびだんさんは私の今までのオタク人生の中で何回か触れる機会はあって、ライブとかでそこそこ間近で観たり親しいお友達が好きだったりしたこともあったけど、結局その時に出会っても今みたいにはならないし(実際なってないし)、でも今こんなことになっているので、ホントにいつ何がどうなるかなんて誰にも、自分にもわからないんですよホント。出会いっていうのは不思議なものです。

 

結局新しい推し(便宜上)も出来たので……便宜上っていうのは推しっていうほどまだ知らないし何もしてないけど、推しって言えるくらいには行動できる気概があるみたいなくらいのレベルなので便宜上推しって言います。

なんかなんでこんなことになったのか自分でもよく……って感じなんですけど、マジで今新規ハイで何見ても新鮮で楽しー!!かわいいー!!!!って感情が爆発してのたうち回っているので毎日が楽しいです。

 

この推しの定義っていうのもつくづく不思議だなと私は思っていて、これは人によって完全にラインが違ってくるとは思うんですが、私は先に言ったように、その人のために遠征してまで現場に行きたいか、っていうのがひとつの基準なのかな~という認識です。

世の中には見てるだけでも好きなら推し!って人もいるし、どれだけ現場に行ってても気持ち的には推しじゃないし…って人もいるから、一概に「こうなったら推し」っていう定義は誰にも決めることはできないし、自分が推しだと思ったら推しだと私は思っているので、他人の推しの定義に文句をつけることもできないわけで。

でも「推し」って決めることができる何かしらの感情の芽生えみたいなのは(レベルの差はあれど)共通項なのかなみたいなのは思っていて、それが私は「遠征できるかどうか」なのかなっていう。
特に今の時期、推しの現場ですら遠征することに躊躇いがあって今までと同じ通い方は時世的にも気持ち的にも難しくなってきている中で、それでも現場に行きたい!って思えるならまぁ十分好きなんだろうな、みたいな。

 

去年推しにするって決めて半年くらいでフェードアウトした元二推しさんも、推しにするって思った時にはそれなりに自分でも助走時期があってのことだったけど、私の場合現場や仕事がないと一気に興味がなくなるのもあって、本当にすぐ気持ちが消えてしまったの、なんとなく「この程度だったのに推しにしてしまった…」みたいな罪悪感が未だにあるんですよね。別に誰も気にしちゃいないだろうけど。

そう、誰も別に気にしちゃいないし、推すも推さないも誰に文句を言われる筋合いがないのは分かってるから別に気軽に推せばいいじゃん悪いことじゃないんだし、とは思うんだけど、なんか変な責任みたいなものを勝手に感じるよね。オタク、すぐ推しに自分の価値を委ねるから。ちゃんと推せないとオタクとしてダメみたいなの、良くないと思いつつどっかにそういう気持ちがある。推すことで自分のオタクとしての姿勢や価値が決まるような気がどこかであって、だから推す推さないひとつにどこの何に対してか分からない変な責任感を持つの、マジで良くないと思う。

 

私は推しという存在は消費の対象だと思っていて、自分が楽しむため、楽しませてもらうための存在だと認識しています。でも、楽しませてもらうからにはそれに対する感謝の気持ちを持ったり、何かしらの形で示したり、分かりやすい形ならお金という対価を支払うことは当たり前だし忘れたくないと思っています。

でも結局推しとオタクってそれ以上でもそれ以下でもないから、その範囲以上のことを自分が背負ったり、相手に背負わせたりするのって、ある程度突き詰めていくオタクだとそうしてしまいがちだけど良くないんじゃないかなぁと思うわけで。勿論その範囲内で、オタクと推しの数だけいろんな関係性はあるから、なんていうのかな、消費なんて言葉といえど、決して無機質でも無感情なものでもないし、推しがいることで自分自身の人生の価値もぐんと上がるわけで、推しというものは本当に素晴らしいものだと思っています。ただ、だからこそ、よく分からん背負う必要のない責任や使命感で自分を追い詰めるような不健康なことはしたくないなという話ね。

 


新しい推しの子についてもやっぱり「ずっと好きでいられるだろうか」みたいな気持ちはあります。でも一方で半年くらいで好きじゃなくなってもまぁ誰に何を言われるわけでもないしな……って思う自分もいるし、とりあえず好きでいられる間は何も考えずに楽しく好きでいられたらいいなと思っています。

 

なんか久しぶりに書いたらダラダラと取り留めのない文章になってしまったな。

 


ところで卓球の王将に出てた子がテニミュへの出演が決まって、卓球で人が死ぬことにみんなザワザワしてるけど卓球の王将では卓球が原因で人は死ぬけど卓球によって人は死なないから!!!!!!!みんな誤解してるから!

少なくともテニスの王子様みたいに試合で血まみれにはならないしボールが変な方向に勝手に曲がったりしないし、テニスの王子様を想像してたらめちゃくちゃ普通に卓球してるのに拍子抜けするレベルで普通に卓球してるし、マジで世間の誤解が誠に遺憾なのでみんな卓球の王将を観てください。(最終的にダイマ