世界で一番推しが好き!

たのしいおたくのせいかつ

STAGE GATE VRシアター vol.2 『Equal-イコール-』の話

※内容めちゃくちゃネタバレしてます。絶対にネタバレしないで観たほうが圧倒的に面白い(逆に観ると面白さが半減する)ので、未見の方これから観るつもりがひとかけらでもある方は観てからご覧になるの推奨です。

 

 

 

まずこの公演が発表された時、推しがいるー?!?!ってびっくりしてしまった。こういうところに名前が並べるくらいになったんだ…って感慨深くなってたら、植田さんから直々に推しとやりたいってご指名を頂いたって話を(なぜか他のぱっちのメンバーの口から)聴いたので、つい泣いちゃったよね……。

植田さんとは4年前のKステで共演、というか推しはアンサンブル、東京公演のある2.5舞台がKステが初、という感じだったので、それを共演、というのもなんかいいのかな…って私が思ってしまうんですが。その舞台で荒牧さんや植田さんのような、そこの頃から2.5舞台の第一線で活躍しているような方々と共演して、推しはそこからお仕事の場を東京に移し始めたのだけど、4年経ってこうやって、今度はひとりの役者同士として対等な立場で板の上に立てる姿を観られるのは、やっぱりめちゃくちゃうれしいんですよね。モリステの時もそうだったし、推しが数年かけてコツコツといろんなものを積み上げてきて、まだまだ追いついたとは言い難いけど、それでも4年前は一列後ろに立っていた推しが、カーテンコールで一緒に並んで一緒にお辞儀をしている姿を観られると、あ~~ホントにここまで来てたんだなすごいなぁって気持ちで胸がいっぱいになります。

 

で、本編の話。

医者のテオとその親友で肺を患っているニコラ、2人が家の中で何気ない日常の会話を1週間重ねていく舞台。その会話の端々で、かみ合わなかったり矛盾だったりおかしな繰り返しを重ねていって、テオがある出来事に気づき、その真実をニコラの口から聴くことになり…というお話。

真実としてはニコラはテオ自身であり、テオはそのニコラを装ったテオが作り上げたホムンクルスだった。ニコラを病で失ったテオはニコラ自身のホムンクルスを作ろうとしたけれど、自分自身も病に侵された為、研究を続けるために自分自身のホムンクルスを作り、自分自身として生活さえる「実験」をしていた。しかし、ホムンクルスのはずのテオのほうも「僕がテオでホムンクルスは君だ」と言う。自分が人間だと思いこむように作ったからそう思うのも仕方がないと。だけど、結局、どちらがホムンクルスなのか、どちらが人間なのか、あまりにも存在が「イコール」になりすぎてお互いも自分自身も分からなくなり、というオチなのだけど、まぁ普通にホラーなんだよな……。

テオをホムンクルスはテオ自身の記憶を共有することになるので、テオ自身の記憶はホムンクルスの記憶となるから、その記憶がもしかしたら自分自身のものかもしれないし相手に与えられた記憶かもしれない。だけど自分自身の記憶として持っているからそれがどっちなのか、もう本人ですら分からなくなってしまう。記憶の定着しないホムンクルスは発狂して死んでしまう、ってテオが言うくだりがあったけど、記憶が定着しても自分自身が分からなくなって結局発狂して…というラストがあまりにも悲しい。

 

テオとニコラの役は日が替わるごとに入れ替わるのだけど、それもまた「二人が同じ人間である」っていうトリックなんですよね。リーディングだと与えられた役以外も出来るからテオとニコラが入れ替わること自体にそこまで激しい違和感を持てなくて…いやこれは私がバカなだけかもしれないけど……。特に推しと植田さんってビジュアルも背格好も全然違うから、「同じ人間を演じている」ことだと辿り着きにくくないですか?他のペアを見ると比較的雰囲気や顔立ちや、何となく通づるものを感じるペアが多くて、そうなるとこのどちらのテオもテオであることについての感じ方見え方も変わってくるのかな…と思いました。

あと、植田さんが内側から爆発するような感情をむき出しにしたお芝居をされるのに対して、推しは淡々と静かなお芝居をずっと続けていたのも、なんていうか、イコールという演目、「二人は同じ存在である」という意味に対しても全然変わってきそうだなとも思った。他のペアを全く見てないのでどの程度お芝居のすり合わせを他のペアの方々がされているのかは分からないけど、植田さんと推しのペアはあまりにも対照的、静と動という感じだったので、これは他のペアも観なければ……という気持ちになりました。

同じ存在であるから同じような近い芝居をしなければならないということではないと思うし、テオの内面のそれこそ静と動が分離していると考えれば、割と私はしっくりきたんですけど、いやホント他のペア観なきゃ……。全然解釈変わりそう。

しかし植田さんが本当に感情をそのままぶつけて爆発させるようなお芝居だったのに対して、それを前にしても全く芝居の変わらない推しがマジで良い意味でホラーだった……元々そんなに状況や相手にお芝居が引っ張られることが少ない印象なんですが、観てるこっちは植田さんの感情の揺れにめちゃくちゃ揺さぶられているのに一人それでも何も変わらない静けさを保てるのはすごかったし、それこそ静かに狂っているニコラ(テオ)の表現として恐ろしくてドキドキしたな……。

 

 

科白劇ぶり、3か月ぶりに劇場で推しを観たのですが、いや~~~推し、ホントにホントに芝居が好きすぎる…………VRでも先に観てたけどやっぱり劇場で感じる推しのお芝居の空気感が本当に大好きなので、目の前で感じて、あ~~これこれこれ!!!!って感極まってしまった。

私は今回のイコールのような静かで感情を抑え込むような推しの芝居が凄く好きだし、ニコラの雰囲気がめちゃくちゃ良かった……静かで穏やかに見せておいて、突然何か恐ろしいもののようにニコラが見える瞬間があるんですよね。笑っているのに、ただ穏やかにそこに座っているだけなのに、テオが抱くぞっとするような得体の知れない空気感がそこにあって、何度も息を飲みました。

ピンスポが当たって、淡々と旧約聖書にある天地創造を読み上げるシーン、あまりにも横顔が厳かで静かで、吸い込まれるみたいで呼吸すら忘れるくらいだった。テオが真実に気づき始めた時、まっすぐにテオを見つめて微動だにしないのに、テオの言葉に僅かに1回だけ喉がこくっと動いたのに気づいた瞬間も、あまりの繊細さに泣いちゃうかと思った。そういう気づきにくいけど確かに意味のある仕草や空気感を出すお芝居が本当に本当に好きだし、そういうのって配信じゃまず感じられない、劇場で、その場で同じ空気を共有しているからこそ分かる、見えるものってたくさんあると思って、ハァ~~だから演劇って最高なんだな。こういう瞬間にグワッっと全身が震えるような興奮や感動を感じて心が震えるのを経験すると、観に来て良かったって思うし、そう思わせてくれるお芝居を見せてくれる推しが好きだなーー!!!ってなります。

 

コロナ禍で現場がなくなって、世の人たちは暇!お金の使い道ない!ってなってるけど、私は逆に今まで手出せてなかったジャンルに手を出したり、新しい楽しそうなジャンルやものにすぐ手を出す習慣が身についてしまったので、逆に時間もお金もねぇよ!!ってなってるタイプのオタクで、世の中には本当に楽しいモノや素敵な人がたくさんあって最高だなって毎日楽しく過ごせてるのですが、こうやって劇場に行って、推しを目の前でいろんなものを感じられると、やっぱりお前が一番だよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!お前を超えられるものなんて何もないよ!!!!!!!!!!ってなっちゃった。また大好きが極まってしまったな……。

良いものを観られると、こういうお芝居が観られたから今度はこういう役やってほしい!って思ったり、次の現場に対するモチベも上がったり、本当に未来が楽しくなるからうれしいですね。

先日のブログでも書きましたが、川崎ガリバーを観られなかったことは多分この先もずっと後悔し続けると思います*1。だけど、今までもそういう後悔みたいなのはあって、未だにこうしておいたらよかったなぁと思うことはたくさんああります。それでもこうやって本当に良かった最高だった大好きって瞬間がこれから先も積み重なって、そんなこと大したことじゃないって思えるくらい、たくさんの思い出にこれからもなっていったらそれは幸せなことだなって思います。

 

 

しかし週末食べ過ぎたから一生体重計乗りたくない。

どうでもいい話なんですけど、青山DDDクロスシアターの近くにあるコメダ、モーニングのパンが何かヤバイもの入ってるんじゃないかってレベルで美味しくてヤバかった。地元のコメダと全然味が違くて絶望した。何あれ……もうあそこのコメダでしかモーニング食べたくないレベル…………。宮益坂サンドっていう他の店舗にはない謎のセレブサンドイッチも美味しかった。

 

ななめにマシュマロを投げる | マシュマロ

 

*1:ご本人への恨みではなく前半に観に行かなかった自分の判断に対する後悔っていう意味ね