世界で一番推しが好き!

たのしいおたくのせいかつ

認知の先の話

こんにちは、私です。

いつもは唐突に始めますがなんとなく挨拶してみたけど、違和感しかないな?(しかも人のパクリ)(すみません)

推しくん納めをしてから粛々と来年への準備を進める毎日です。ボーナス……早くボーナスくれよぉ……。

 

さて、今日はこちらのエントリについてのお話を書いてみようかな~と。

korilakku.hatenablog.com

先にお伝えしますが、決してマウントとかそういうつもりではなく、ただ認知がほしかった側、認知をもらった向こう側にいる人間として思ったことです。

以前も似たようなエントリを書いたのですが、私は「認知が欲しい」側の人間です。

 

oow99.hatenablog.com

ここでも書いた通り、前推しさんの時は認知おばけになりすぎて勝手に辛くなって下りたし、今の推しくんを推し始めたきっかけも認知がもらえそうだったからです。

特に前推しさんは所謂ガチ恋だったので、私の場合は「推しさんのことを「私」がこれだけ好きってことを知ってほしい!」の一心でした。その他大勢の言う「好き」と私の「好き」は全然違うのに、私がモブのままだとそれは結局「私」の「好き」としては伝わらない。そのことが辛くて耐えられなくて、認知さえもらえれば「私」がどれだけ推しさんのことを好きか、どんなふうにどれだけ推しさんのことを好きでいるか全部推しさんにわかってもらえる、わかってもらいたい、知ってほしい!「私」っていう存在を知って!!好きが募れば募るほどその気持ちが大きくなって、なのに推しさんにはいつまでも顔と名前を合わせた認知をしてもらえなくて、そういう認知をしてもらえる友達が羨ましくて妬ましかった。

今思えば、いつも来てるあの子、っていう認知と、いつも手紙をくれる○○さんっていうそれぞれの認知はもらっていて、ただひたすらそれが一致しなかっただけなので、認知されてないといえばちょっと違うかもしれないけど、でも私がほしいと思った認知とは違ってたんですよね。「私」がやってること、なにもかも全部を推しさんに知っていてほしかったんです。

 

私がひたすらに願っていた「「私」がやっていること全部推しさんに知ってほしい」。

認知が欲しかった側からすれば、今の自分がやってること全部今の推しくんに知っていてもらえることは本当に安心します。私は基本的に同担どころか劇団のおたくの方とも親しい友達以外の交流を一切していないので、私がどの程度現場にいてどの程度推しくんのこと追ってるのか、いつからどのくらい推しくんのこと追ってるのか、本当に知ってるのは私の親しい友達と推しくんだけです。

たまに他のゆるおたが強火認定されていると、ムカつくっちゃムカつくんですけど……お前全然現場来てねーじゃん……知ってんだぞ……………でも何よりも推しくんが一番真実を知っていてくれてるっていうのは本当に心強いというか、推しくんさえ分かってくれたらいいって、強がりでもなんでもなく思えるのは認知が合ってこそだなって思います。以前のエントリにも書きましたが、前推しさんで思い描いていた理想の認知の状態が、まさに今です。

 

だから昔は「認知されたくない」って人の気持ちが分からなかったんですよね……。

前推しさんの認知おばけになっていた時、それなりに追ってれば自然と認知されるよ~なんて認知されている友達に言われてキレ散らかしたのですが、その子の言うとおり、それなりに現場に通ってそれなりに接触していれば認知されるなら、そういう風に追ってる人が認知されないのは無理なのに、言ってることとやってること矛盾してない?認知されたくないなら接触も行かなきゃいいし、気づかれるほど現場に通わなきゃいいじゃん!って普通に思ってました。

 

でも、先のエントリを拝読して、ぞっとしなかったというか、自分の考えのなさにちょっと悲しくなったんですよね。

私は、自分がいなくなった時の推しくんがどう思うかなんて、考えたことがなかった。

たまに「今日で○○くんおります!さようなら!」ってリプや接触で宣言するおたくがいますが、正直意味が分からなかった。推しはそんなひとりひとりのおたくが推す推さないなんて気にも留めてないのに、なんでわざわざ「あなたのこと嫌いになりました!」的宣言をするのか理解ができませんでした。実際そういうの悲しいって言ってる俳優さんもいたし。

私は自分がおりる時は何も言わない派です。前推しさんのときも一区切りはあったものの、ほぼフェードアウト状態だったし、そもそもちゃんとした認知ももらってないのに宣言もなんもねーだろと思ったので。今の推しくんもおりる時には何にも言わずにふわっと消えるだろうな~と思ってるしそのつもりでした。

でも、俳優さんは私が思っていた以上におたくのことを気にしている、いつもいる子がいなくなったことを気にしてるという話を聴いて、割とショックでした。おたくってそんなに大事にされてたの?????そんな何百人といるようなおたくの挙動を俳優さんは気にしてたの?いや嘘でしょ……今も割と信じられない。俳優さんどんだけいい人なの。神かよ。でも、全員とは言わずとも、やっぱり気にする人はいるんですよね。自分の推しくんはどうなのかはわからないけど。

思ったのは、私は「自分が勝手に好きになって勝手に推してる」と思ってるから、おりるのも自分の勝手って思ってるのですが、確かにタイミングはこっちの勝手かもしれないけど、推しくんが自分とそれなりの信頼関係を築いてくれた以上は、やっぱりその関係をちゃんと一区切りさせる責任はあるのかなぁって。

おたくのことなんて気にしてねーよ!って意見もめっちゃ分かります。私が思ってるよりも推しくんは気にしてないかもしれない。でも、推しくんの記憶の中にほんの少しでも住まわせてもらった、推しくんがその気持ちをほんの少しでも傾けてくれた、気に留めてくれていた感謝の気持ちは、きっとおりる時に伝える責任は、あるのだろうなぁと思いました。私はとても今しあわせでたのしくて、推しくんが好きってだけでいろんなことを頑張れていろんなことを楽しめるようになったし、私がやってきたことに対して推しくんがたくさん信頼をしてくれていることも自惚れじゃなく自覚しています。その感謝の気持ちは、例え嫌いになってさよならする時にも、ちゃんと伝えなくちゃいけないんだろうな。そんなこと考えたこともなかった。本当に勝手ですよね。キモオタが自分のやることを認めてくれ!見てくれ!好きなんだ!って散々アピールしといて、向こうがそれに対してちゃんと見てるよ知ってるよありがとうって言ってくれたのに、自分が飽きたり推せなくなったら何も言わずにいなくなって、おりる宣言よりそっちのほうが相手に失礼だし傷つけることもあるんじゃないかなってことに気づきました。

 

まぁ、私が思うのは「おりるときはちゃんと今までのことに感謝とお礼を言おう」ってことだけなので、信頼関係もクソもないくせに勝手にもりあがって悲劇のヒロイン演じて「○○くんのこと大好きでした。さよなら。」って言う承認乞食は良くないと思います。自分と推しとの関係は自分に酔うことなく、自惚れず謙遜しすぎず、ちゃんと見極めていきたい。

私がやりたい、やらなきゃいけないなと思ったのは、傷つけるための宣言じゃなくて、傷つけないための宣言です。それが、認知をもらったことでたくさんたくさん、推しくんにしあわせを信頼をもらった、もらっている私の責任なのかなって思いました。