世界で一番推しが好き!

たのしいおたくのせいかつ

ミュージカル「ジェイミー」の話 ②

ジェイミー大阪公演千秋楽おめでとうございました!

 

 

oow99.hatenablog.com

これは東京公演の感想。

 

新歌舞伎座初めて行ったけど、いやブリリアの音響ーーーー!!!!!!!の気持ちになった。全然聴き取れなかったのはブリリアのせいでした。なんかキレイな劇場だし、全く見えないことも全く聴こえないこともないっちゃないけど、次にブリリアで推しの舞台あるよって言われたらめちゃくちゃテンション下がるなぁくらいの評価になりました。ステラボールと同じくらいのやつ……。

ブリリアの悪口はさておき、なんか新歌舞伎座ってもっと外から見ても劇場!ってイメージを勝手に想像してたから普通にショッピングモールの中を上がって行ってドキドキした。劇場あった。(あたりまえでは)なんか座席が前方すぎて良し悪しが全然わかんなかったけど……角度がアレすぎて2日経っても首が回らなくなってる。

 

どうでもいいんだけど、大阪楽はスタオベでカーテンコールも3回くらい?森崎さんが出てきてくださったんだけど、その後に「本日の公演は終了しました」的アナウンスが何回流れても誰も着席すらしなくてすごかった。最終的に強制的規制退場みたいになったけど、.5舞台だと「本日の公演は~」って流れたらハイ終わり~みたいな感じでみんなスッ……と帰る準備するから、最後のほう正直いつまでやるんだろう……みたいな気持ちになってしまった。本当にどうでもいい話。

 

 

 

「ジェイミー」ってお話自体は前回の感想でも書いた通り、別に壮大な伏線があったり大どんでん返しがあるわけでもなく、勧善懲悪で分かりやすいハッピーエンドのお話なんですけど、登場人物ひとりひとりの描き方がすごく繊細で、みんな一元的じゃなくていろんな側面があって、完璧じゃなくて、本当にダメな部分もたくさんあって。それでも愛してくれる人、受け入れてくれる人は存在している優しい世界だなと私は思った。東京公演を観て自分なりの解釈をした後だからか、全然感じるものや見えるものが違ってくるなぁと思いました。キャストの皆さんのお芝居も変わってるし。

コロナ禍になって、観劇回数自体がめちゃくちゃ減ってしまったけど、やっぱり多ステするのってこういう自分の解釈を深めて答え合わせをしたり更に理解を深めて作品の解像度を上げていく作業が楽しいんだよな。今回は多ステは全くしてないけど期間が空いた分咀嚼する時間がたくさんあったので、こういうのもアリだな。やっぱり解像度が上がると、観ていてハッとする瞬間がたくさんあったり、感情が深まることで余計に泣けたりすることが増えるから舞台自体もすごい楽しんだ満足感があるんですよね。マチソワ2公演くらいしか観ないことがすっかり増えてしまったので、別にそれはそれでちゃんと楽しんではいるけど、こういう楽しみ方忘れてたな~って久しぶりに感じました。

 

 

あ、こっからほぼディーン・パクストンくんの話しかしません。

 

前も書いた通りやっぱりディーンがどうしようもない人間だってわかっててもつい見てしまうんですよね推しなので……。でも大阪公演でお芝居から感じるものが全然違うというか、特にラストのディーンの感情がより深く、解像度があがったなって感じました。

東京公演がダメだったというわけではなく、東京公演で観たときはディーン自身が自分の感情に整理がついてなくてどうしようもない気持ちをコントロールできてない感じがあってそれはそれでディ~~~~~~~~~~ン!!!!!ってなったんだけど、大阪公演だとそのコントロールできない自分自身に対する辛さみたいなのもすごく感じて、それがめちゃくちゃ観てる私も辛かった。最初はただ反抗期で暴れてるだけだったけど、大阪公演になって反抗期であることに自覚があって抜け出したいけど反抗期だからどうにもできなくて暴れちゃう、みたいな違いというか。

前の感想でも似たようなことを書いたけど、私はディーンはジェイミーのことが好きだと思っていて、好きだからジェイミーが一番傷つく言葉だって分かるし、好きだからミミ・ミーのことも理解ができるけど、好きだから何をしても苛立つし、好きだから誰よりも憎らしくて攻撃的になってしまう人なのかなみたいな。

結局プロムのときにディーンがジェイミーに言ったことって、今まで自分に虐められて俯いていたジェイミーが突然みんなの注目を集めたことよりも、それによってジェイミーにとって自分が「どうでもいい」存在になることが一番ディーンにとって恐れていたって話だった。ジェイミーにとって「気持ち悪い」が一番傷つく言葉だったように、ディーンにとってはプリティに言われた「どうでもいい」が一番傷ついて恐れていた言葉だったんだなっていうのがめちゃくちゃ明瞭になっていた。そのシーンの矢部さんのお芝居が本当につらくて、ディーンが今にも泣き崩れてしまいそうなほど悲壮で切実で涙が止まらなかった。

いじめは絶対ダメなのでディーンがやったこと自体は本当は許されないことなんだけど、あ~ディーンってジェイミーのことが嫌いで傷つけたり憎んでいたわけじゃなかったんだなって思ったし、めちゃくちゃ簡単な言葉で言うと、スポットライトの下にいるジェイミーに恐れさせて怯えさせることで自分の存在を認識させたかったんだろうなっていう。

ジェイミーがディーンを許して友達に戻れたのは、ジェイミーが単純に優しい子ってだけじゃなくて、ジェイミー自身がたくさん傷ついたからこそ、ディーンが何を恐れてどうしたらディーンを救えるのかを、誰よりもディーンに傷つけられたジェイミーが理解してたからなのかな~と思いました。愛だった。私だったらディーンにそんなこと言われたところでイヤどんなに構ってほしかったんか知らんがお前がやってきたのいじめだし普通に許したくないが…ってな…………るかな………………可愛いしな……(そうじゃない)

 

そのあと、プロムに一緒に出ようと手を差し伸べたジェイミーの手をディーンが乱暴につかんでプロムの会場に入って行く、っていうシーンがあるんですが、大阪楽だったからなのかわかんないけど、ディーンのほうから先に「……ん、」って手を差し伸べたから、ディ~~~~~~~~~~~~~~~ン!!!!!!!!!!!!!!!!!!って顔を覆ってしまった。

手を差し伸べてジェイミーからディーンをプロムに誘うって本当にジェイミーからの「赦し」であって、そこにディーンが歩み寄ることで2人がハッピーエンドになると思っていたけど、顔は渋々ではあってもディーンからジェイミーをプロムに誘う仕草をするって、それってディーンからジェイミーに対する「許容」なんじゃないかなって私は思いました。ジェイミーがゲイであることもドラァグクイーンとしてのミミ・ミーも、理解できてるのに受け入れられないディーンが、ヒールを履いてドレスを着たジェイミーに自分から手を差し伸べる歩み寄り方がいやもう…??どういうこと………。

でもそのあとジェイミーも同じように手を差し出して、お互い手を差し出した状態でどっちが手を取るのか我慢比べみたいになって、結局ディーンが根負けしたのも最高に可愛かった。なんであんなに可愛いんだ………。幸せになってほしい……。

 

 

そこでジェイミーが「僕がエスコートするんだよ!」って結局ディーンの手を引っ張っていくのもそうなんだけど、ジェイミーって本当に女性性と男性性の役割もすごい明確だな、と思いました。

女性は強く正しく寛容で、男性は弱く日和見で常に恐れを纏っているもの、っていう描き方がすごい一貫してるんですよね。ジェイミーの両親やプリティとディーンが分かりやすい対比だけど、クラスメイトも女子生徒は自分の道を見つけたジェイミーやプリティのことをすぐ受け入れて、ディーンが正しくないってハッキリ言うけど、男子生徒はイマイチピリッとしなくて結局女子生徒が引っ張っていく流れに乗っかっていくような印象が強かった。ドラァグクイーンたちは女性側だけど、ジェイミーはその間でずっと揺れていたし。

その描き方が社会的に正しいのかっていう判断はさておき、ジェイミーにとっての味方と敵っていう描き方で登場人物の性別で役割がハッキリ分かれているのは面白いなと思いました。

外国原作だからなのか、セリフもハッキリとこう思ってる!って言うんじゃなくて、婉曲的というか、そんなことを言うってことはこう思ってるんだなっていう解釈をこちら側にさせる余地がデカイというか(だから音響のせいでセリフが聴こえないと致命的なんだけど)、こういうグランドミュージカル(でいいんかな)を観るのは初めてだったけど、いろんな視点からいろんな解釈が多角的にできるのすごく楽しいし面白いな~と思いました。

 

多分矢部さんが出なかったら観に行くことはなかったんだろうなぁって思うし、ご本人が「自分にはまだ早い気がしたけど…」みたいなことを仰ってたけどオファー受けてくれてありがとう!とても楽しかったです!!!こういう自発的に飛び込むことはないだろう経験をさせてもらえるから推し事っていうのはやめられないですね。

 

 

 

 

推しがまた1人増えたこともあって、着々と年内の予定が埋まりつつあるんですけど、肝心の推しの予定が?10月以降?ないんですが????なんで??もう10月に何かあるとか言われても困るんだが。(知らん)いっそお休みするとかで特に何もないなら「しばらくないです!」って教えてほしい。